生きてくだけで息も絶え絶え

人並みの生活って大変だ

つれづれ6

どうも、よこおって言います。

 

お題スロットっていうのがあって、困った時はこれを使ってねって事なので、早速使ってみようと思います。

 

お題「ケータイと私」

 

中学で初めて二つ折りケータイを持った頃から、単純に「持ってる」事が嬉しくてずっと触っていた記憶があります。勉強中、時間を確認するのに時計があるのにわざわざケータイで確認して、メール来てないかなあとか言いながら開いたり。学校への持ち込みが禁止されていて、親も反対していたのにこっそり持ち出して校内で画像フォルダを眺めたり。

友達と呼べる人があまりいなかった(と思っていた)ので、液晶の向こうにも自分と同じようにひとりぼっちがいるんだって思うと嬉しかったです。○○ちゃんが口利いてくれないとか、△△くんが好きだけど××ちゃんも好きって言ってて自分の事なんて絶対眼中にないとか。わかるわかるって、自分のさみしさを相手に投影しては慰めあっていました。

 

高校にあがって、クラスメイトとSNSを通じて繋がりを持った時の嬉しさがありました。自分の知らない非公開グループが出来ていて悲しかったり、内輪ネタで十分通じる冗談を、他校の女の子から強く非難されて怖くなったり、ケータイを持っていないと、ずっと見ていないと、不安だった頃でもありました。

部活をしている時だけは、その不安から解放されていた事を思い出します。辞めちゃってから、どうやって暮らしてたんだろうって、不思議な感覚です。

 

大学時代はニコニコ動画全盛期もあって、ボカロPが新曲を出しただの、歌い手が〜実況主が〜と言いながらSNSにかじり付いていました。誰よりもはやくレスポンスする事が全てで、実習でスマートフォンを手元に置いておけない時はもどかしかったり。

この頃からいろいろなスマホゲームをするようになり、体力がなくなってプレイ出来なくなると次、そっちもダメになるとまた別、と言った感じで絶え間なくケータイを触っていたように思います。

 

社会に出てからも、休憩時間やトイレ休憩なんかではゲームの合間にゲームをしたり、SNSで誰か知っている人が更新したらすぐに飛びついて話をしたり。ケータイがないと生きていけないと、本気で思っていました。

もうずっと、ケータイ依存だったんだなあと思います。

 

少し前から、契約更新に伴う派遣先変更の待機期間と重なって、しばらくの療養期間を頂いていました。今はとにかく、さすがに緊急連絡が出来ないと困るので通話機能は必要だけれど、二つ折りに戻したいと強く思っています。

ケータイから一日、なるべく離れるようにしただけで、今までやりたかった事が出来るようになりました。読書だったり、懸賞のナンプレだったり、家族との時間だったり。

なんでもできるケータイの機能や特性に囚われて、目の前にある生活を御座成りにしている可能性を考えたとき、どこまで頼る?という疑問にぶつかりました。ネットで調べればわかることはたくさんあります。でも、家族や友人に訊けばもっと詳しく知っているかもしれない。ネットでは知り得なかった事を、教えてくれるかもしれない。

 

自分がパソコンやタブレットを別に持っていて、ケータイで出来る事は他の端末を使えばできるからだ、という前提は重々承知の上で。スクリーンショットを撮って番号を控えたりするよりも手帳やメモ帳に書き写した方が好きだ、という自分の好みがある事は十分理解した上で。

今はケータイを、外出時の緊急時にだけ使うものにしたいと思っています。スマートフォンを売りたいケータイ業界の方にとっては悪しき客かとは思いますが、次はガラケーかガラホがいいなあ・・・

とはいえ自分がしっかり自分を律せれば、その形態にこだわることもないのだと思います。ゲームは一日三十分!っていう家庭ルールを独断で一時間に伸ばしたり、法の主がいない間にゲームしたりっていう抜け道探しをしていた人間なので、自分を律するって本当に難しい。集中がはじまると寝食忘れるのも、時間の管理が出来てない事のように思います。それが生涯学習だろうが、資格試験の勉強だろうが、睡眠と食事は最優先ですから。なんの話だ。

 

かつてのケータイと自分は一方的な依存関係でしたが、今は少し距離を置いて、依存度を下げているところです。