生きてくだけで息も絶え絶え

人並みの生活って大変だ

読まなくていいただの独白

どうも、よこおって言います。

 

あんなことがあった、こんなことがあったって日常の些細な報告をできる相手っていい。物理的な距離の遠近にかかわらず、ふとした時にそばにいるような気がする相手というのも、素晴らしい存在だと思う。そんな相手が欲しくて、こうしてブログを書いているのかなぁなんてことをぼんやり考えていた。

幼馴染には、SNSやLINEじゃなくて同じ空気を共有した上でいろんな事を報告したいと思っている。多分、お互いなんとなくそう思っている気がしていて、お互いにどうしてるだろうって気にする割に「最近どう?」って訊かない。「そろそろ実家帰るけどみんなこの時期どこにいる?」から始まって、大体の日程が決まって、当日ようやく時間と場所が決まって・・・何頼むだとかどれはナイだとか言いながら、「最近どう?」って切り出すのを待っている。最後に会ってから何回仕事変わったとか、今どこに住んでるとか、みんなでビックリしながら、でも「自分ら、変わらんよなあ」って笑う。

大学や高校の友人とは、「会わない距離」というのがベターなんじゃないかと思っている。とても勝手に。ネットを介した世界を中心にうまれた関係で、会えば対面の温度感を持って刺激しあえるけれど、会わなくても十分、刺激を与えあっている。お互いに有益な情報を交換して、心の真ん中で切磋琢磨できている。そんな風に思っている。

 

自分がひいた心の風邪について、「わたしのせいだね」と言う人が幾人かいる。本心かどうかは別にして、自分はどうしても、それを受け入れる事が出来ない。風邪をひいたのは自分の責任で、誰がいたからとか何処にいたからというのは理由にならない。誰も責めない。責めたくない。それで何が解決するわけではない。たとえば風邪の原因が君たちだったとして、じゃあ君たちは何をしてくれたと言うのか。ただ現状を嘆くだけで、腫れ物に触るような接し方で、それで何か為したつもりなんだろうか。誰か殺してくれと泣きながら眠れない夜を越えたところで、幻聴と幻覚で過呼吸を起こした夜をやり過ごしたところで、君たちが手を差し伸べてくれる日は来ない。

誰かのせいにするのも、責めるのも、とても簡単で楽だ。「人生そっくり替わってくれよ」「あの時間を返してくれよ」「治療費全額払ってくれよ」「君のせいなんだから責任とってくれよ」そうやって全部、誰かに被せてしまえばいいだけだ。でも自分は、もっと楽で簡単な道を知っている。全部自分のせいにして、自分だけで大事に抱えて生きていく。口を噤んで、友情も信頼も失う可能性ごと抱えて生きていく。誰かのせいにしたところで何になる。何が返る。なすりつけて汚れてしまうくらいなら、宝箱の中に仕舞って綺麗なままで保存する。それが自分の生き方だ。親にも友人にも、誰にも、笑えるし楽しいと思えるし話していると嬉しくなるけれど、心の中に転がる宝箱は今日も減らない。そうして風邪は悪化する。それが自分の生き方だ。

今はとにかく、一日でも多く外に出て空気を吸い、歩いて視覚を刺激して、ファインダーを覗いて季節を感じて、お風呂に入ってしっかり寝る。そろそろ仕事も探しに行く。風邪を治す為に、死にたくなる日も生きていく。死ぬ勇気がなくて良かったと思って生きている。

 

こんなことを誰かにきいてほしくて、でもこんな風に不特定多数ではなく、やっぱり「きみ」にきいてほしくて、この不特定多数の中にいるかもしれない「きみ」に気付いてほしくて、気付かれたくなくて。

「言わない覚悟をしたら同時に、相手を求める権利も失うんだよ。我慢は溝しか作らない」【坂道のソラ】/朝丘戻

大小様々な溝の内側で、今日も辛うじて生きている。