生きてくだけで息も絶え絶え

人並みの生活って大変だ

(偽)善 つれづれ29

どうも、よこおって言います。

 

 昨日のことですが、出先で猫に会いました。

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 生後どれくらいかも判らないのですが、あたたかいマンホールの上でうとうとしていました。往路ではここにいたのですが、帰路についた際に見ず知らずであろう女性たちが道向かいにある生け垣の中に避難させていました。

 大学の頃、高校時代の友人と話していたことを思い出しました。

 

「偽善ならやらない方が相手の為だし、施された偽善に振り回される身にもなってみろと思う」

「やらぬ善よりやる偽善って言葉があるんだよ。偽善とわかっていても、やったという事実、やってもらったという事実がお互いの心を救うこともある」

 

 似たような感覚の持ち主だと思っていたので、そんな風に考えていた事に驚きを隠せなかったし、何だか少し裏切られたように感じた事も、そんなのエゴだと強い反発心を抱いた事も覚えています。

 幾年か経った今、そもそも「偽善」ってなんだ?と思うようになりました。本心からではない、上辺を取り繕った善行って、誰が決めるんだ?轢かれてしまわないように安全な場所へ移す。弱ってしまわないように食べ物をあげる。子猫の為に、通りがかった人たちと一緒に助けようとする心が本心かどうかは、本人しか知る由がないんじゃないのか?「こいつは偽善者だ」と誰かを指差すのは、いつだって見ず知らずの他人じゃないのか?

 自分では思いもよらない言動の全てを、偽善だと感じた事が今までにたくさんありました。けれど自分自身も、心から相手を思ってやったことに偽善だ、不誠実だと言われて頭が真っ白になった事もありました。こういう苦しみを、悲しみを、やりきれなさを、感じた自分が与えていいわけがない、というのがここ最近の自分の考えです。彼には彼の、彼女には彼女の善があり、お互いにそれを否定したり、踏みにじったりすることは出来ないと思っています。たとえ何を言われても、自分の善は変わらないのだと思います。世話をする責任がもてないから、どれだけ可愛いと思っても絶対に触れない。食事を与えない。死んでほしくないけれど、生かしてやれる力がない。どうか元気でいてと願うばかりです。