生きてくだけで息も絶え絶え

人並みの生活って大変だ

憧れ

 R−30ベストヒッツだのを聴くと、硬くて丈夫な木の机と背もたれが何段階かで動く座椅子、ブラウン管のテレビと埃まみれのビデオデッキ、左側がまともに音の入らないスピーカーとCDやラジオが聴ける大きめのコンポ、テレビとラジオから流れる音に目の前の宿題、お茶を飲み干したグラスに残された氷、そんなものを思い出す。2週に1度の土曜日授業が終わると一目散にうちに帰って、夏場はほとんど必ずそうめんを作ってもらった。もう少し幼い頃の記憶では、近所のクリーニング店が店先に置いていたアイスクリームを、兄弟と手を繋いで買いに行ったこともある。あの頃の面影はどこにいったんだと笑えるくらい、今はもう見る影も無い。あの頃の面影はどこにいったんだと笑えるくらい、時は流れた。

 「普通じゃない」という言葉が呪いだった頃、型に嵌ろうと必死だった。どうすれば「普通でいられる」のか、どうすれば「普通に見える」のか、そんなことばかり考えていたような気がする。誰かにとっての普通を演じたところで、それが自分自身を壊していくなら、なんの意味もないことは今だからこそわかることだと思う。わかるまで生きていられてよかったと思うべきだろうか。そればっかりはわからないけれど。

 誰かと比べてしまう癖は数ヶ月でどうにかできるものじゃない。それも自分だけの力では。だからいつか、この先の人生に於いて、誰かと比べてこの命に価値はないと思う余地のない程圧倒的に、自分が自分であることを認められる瞬間が来ることを願う。おそらく、過去の自分がそうであったように。後ろから指す光が強すぎて、一寸先は真っ暗闇だ。