生きてくだけで息も絶え絶え

人並みの生活って大変だ

形見

 自分には親戚が多くいて、その分葬祭に出る機会も多くあった。

 伯母は自分が幼い頃、何度か書いた手紙をとってくれていた。親戚中の誰よりも好きな人だった。自分が素敵だと思った姿は、伯母が持つ「女の意地」によって表面化したごく一部なんだと知らされたのはほんの少し前の事だ。自分にとって、綺麗で優しくて穏やかな人のまま逝けたのは、病に伏した後も「病人」ではなく「女」として生き続けたからだろう。そんな彼女を尊敬するし、恐ろしくもある。

 このくらいの気温になると、伯母の事を思い出す。おそらく先はないという一報を受けて家族みんなで病院に駆けつけて、ベッドの周りにはよくわからない機械がいくつかあって、縋り付いて泣く彼女の姉たちがいて、彼女よりも先に心を殺したご主人と長男が「延命治療はしない」と呟いて、自分はお疲れさまだったかゆっくり休んでだったかを心の中で伝えて、寝て、起きて、を2度繰り返して、骨を拾った。

 親戚から故人が「大事にしていたもの」とか「気に入っていたけど誰も着ない服」とか「自分たちに遺したもの」とか、そういったものを譲り受けることがある。今着ている、薄手ながら暖かいカーディガンもそうだ。いつの間にか、肩には虫食いが2つ、肘の裏側にインクのシミ、袖口のほつれ。これを捨てれば本当に伯母が死んでしまうような気がして、気付いてから何年も経つ上、毎度家族から「そろそろ終いにしなさいね」と言われているのを、知らない振りで躱してきた。

 わかっている。そろそろ終いにしないと、冬が来るたびに立ち止まってしまう。それが癖になり、習慣になり、当たり前になり、大切でなくなる。そろそろ、うん、春が来たら。